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共働きSEの楽しいライフハック生活。

おふくろの味地獄からの脱出!

2019年09月18日
日記 0
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先日Twitterでこんな内容を見つけました。

「日本は「家庭料理」のスペックが高すぎる…本当にそう。ドイツに一年居た頃は炊事含めた家事が本当に楽で最高だった。愛情と家事が結び付けられていないから家事(料理)が不得手または嫌いな事に罪悪感を感じないしスーパーには簡単に炊事できる食べ物が沢山あって(しかも日本みたいに無駄に高くない)」(@nichinichibijou)

https://twitter.com/nichinichibijou/status/1173042624493572097?s=20

https://twitter.com/nichinichibijou/status/1173470601131855872?s=20


これには首がもげるくらいに納得。

日本では家事の多くが、「手間暇かける=愛情」のように受け取られます。

さらに便利な家電を使うと「家事の手抜きをしている」とかなり可罰的に捉えられることも多いです。

私は惣菜を買っても、冷凍食品で食卓を並べても、別にそれは1つの料理という家事であることに変わりなく、5時間煮込んだビーフストロガノフと変わりないものだと思っています。

私がライフハックをするようになったのも、「もっと家で美味しい物を簡単に食べたい」「料理や掃除の時間が短くなった分だけ他のことしたい」という思いが強かったからです。

それは、別にライフハックしている人が優れているとか、そういうことではなく、それぞれが個々人の幸せのためにどうしたら良いか考えた結果、私の場合は「ライフハック」があったというだけでの話です。


料理にかける時間だけで愛情が測れてしまったら、きっと料理に時間が割けない分だけ忙しく働く男女は全敗でしょう。
でも実際は、そうではないです。各家庭で幸せの在り方も愛情の考え方も次第。

個々人の家庭が幸せな在り方を考えて、「食事は必要なエネルギーが摂取できれば良い」と考えるのも1つの手です。

私も一汁三菜や品数において言えば、合理的にも「必要な栄養素が揃っていれば1品で問題ない」と考えています。



どこかのテレビ番組でドイツで使われている自動調理家電(ホットクックのようなもの)を紹介した際に、そのドイツ家庭では、

「料理の時間が短くなった分、子供と一緒に居れるようになった」

と話していました。本当に心温まる素晴らしい話です。
その調理家電は私も欲しいと観ていてすぐ思ったのですが、その後の番組ゲストの意見は私の感想と全く異なるものでした。


「おふくろの味とかあるし、やっぱり調理家電で作ると真心がこもってない気がしますよね」

「機械で料理を作ってしまうのは何だか寂しい気がします」



この日から、私はこの手の話を「おふくろの味地獄」と呼んでいます。

良く考えれば「おふくろの味」はあっても「おやじの味」って無いですよね。

「おやじの味」ってどっかの料理屋の頑固な大将の作る料理のことみたいです(笑)

別の誰かが作ろうが、機械で作ろうが、家庭内で人の手で作ろうが、料理という家事の価値は変わりません。

まして、システムエンジニアのという職種柄、私が言いたいことは1つです。



テクノロジーの進化を舐めるんじゃねぇええええ!!!



私はヘルシオとホットクックを使って毎日料理をしていますが、めちゃくちゃ美味しいんです。

ホットクックと圧力鍋の時間の話はしたことがあるかと思いますが、ホットクックは圧力鍋と違って90分かかる料理はじっくり90分間かき混ぜながら作ってくれます。

しかも、適切な温度や時間を調整して、プロが手動で行う手順を再現している訳です。

無水調理なら、野菜の栄養素を逃すことなく、食材の水分でじっくり調理してくれるので旨みもたっぷりです。

下手な素人が作るよりも美味しくできるのは当然なのですが、これを「手間暇かけてじっくり作る手料理の方が美味しいに決まっている」というのは単なるエゴ(というか思い込み)です。

素人の手料理が自動調理家電に常に勝っているというのは、プラシーボ効果みたいなものです。

また、プロの料理は当然、プロでしか出せない味や創意工夫があるので、それなりのお金がかかるのも当然な訳です。

もちろん、味付けは家庭によって個性が出ます。そういった意味でも調理家電だからといって家庭の味が損なわれる訳ではありません。(まぁ家庭の味なんてものは別に無くても構いませんが)

料理は化学です。旨み成分の出方や調味料の配合を考えて、適切な分量や温度、時間で作る料理の方が絶対美味しいと思います。



そもそも「料理」って結構な負担だと思うんです。

私が結婚当時に夫と家事分担をした際に、料理がもともと好きだったから料理担当になったのですが、これが嫌いになるくらい働きながらの料理は負担でした。

まともに昔ながらのやり方をしたら1時間くらいかかります。

献立を考えて買い物まで含めたら、もっと時間がかかると思います。

私の場合は、忙しい時に家事破綻をしてしまい、自炊を一切やめたら外食費が凄まじい金額となり、はたと気づいたのです。


「仕事で効率改善したら手離しで褒められるのに、家事で効率改善したら何が悪いのか」


もう時代は令和です。令和には令和に合った家事の方法があって然るべきなのに、いつまで経っても昭和から配膳の支度だけ変わらない方がおかしいのです。

その結果、昔ながらのやり方を0ベースで考え直しました。

家事に関するハック本も何冊か読みながら、必要な家電の投資を行っていきました。

その結果が今の生活です。かなり生活は楽になりましたし、家事破綻することもなくなりました。

私はイトーヨーカドーで売られている味付け肉のような、焼くだけですぐ食べれる食材も良く利用しますし、冷凍保存可能な肉や魚も利用します。

でも、罪悪感は一切ないです。むしろ罪悪感をなぜ感じなければならないのか。

既婚未婚、男女関係なく、家事をやっている自分をもっと褒めてください。

家事は労働であり、生きるための無償の作業です。本当は、そこで愛情や評価など測りきることはできません。

たまに「旦那さんに家事やってもらってるなんて…」とか「お掃除ロボットや調理家電を使って手を抜いている」とか言われますけど、私からしたら全然平気。


だって、社会に労働力を提供しながら、きっちり税金納めてるも~ん\(^o^)/


おっぺけぺーのぷっぷっぷーな訳ですよ。

そして、夫と私は常に平等なので「家事」は私だけが背負う作業でもないですし、私も夫も家事と言う作業よりも一緒に過ごす時間を大事にした結果が様々な家電な訳です。
(何度も言うように家電は手抜きではありません。時短なだけでなく質が高くなる分、効率改善なのです)

なので、夫が洗濯物を畳んでおいてくれたら私は「ありがとう」、私が食事を作ったら夫は「美味しいよ」…というように、夫も私もお互いに“感謝”と“好意”を常に持って声かけをしています。

どうせ生きるためにどうしても必要な作業(家事)ならお互いに気持ち良く行いたいものです。

家事に深い意味付けをするのではなく、1つ1つの作業と捉えたとき、「じゃあ、どうやったらもっと効率化できるかな」というのが私の取り組みだった気がします。

そして、自炊が偉いとか全く思っていないです。冷凍食品でも惣菜でも、別に料理は作業の1つだから、それに優劣は全くないです。


私は自分が何かを不満だと思ったら変えていけば良いし、不満が無ければ無理に変える必要はないと思います。

ただ、その在り方を人に強要すべきではないと思います。

不満があるなら自ら行動するしかないのです。行動しないのに、行動する人を非難したり、自己承認のために批判材料にするのは、「あのブドウは酸っぱいに違いない(It's sour grapes!)」と同じです。

結局、自分を幸せにするのは自分だと私は思っています。

個々人がそれぞれの幸せの在り方を考えながら、自分に合った形でよりハッピーな生活をみんなが送れれば良いなと思います。



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るく太
この記事を書いた人: るく太

アメフトと競馬をこよなく愛す、共働きへっぽこSE。

読書や投資信託、最新テクノロジーからサブカルに至るまで興味のあることには何でもガツガツです。

ラクして楽しい生活づくりのライフハックを日々考えて暮らしています。

南の島出身の夫とサビ猫が家族。

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