日本のPTA活動って本当に必要??
以前、知人からPTAの作業の話を聞いて、ネット上で議論したときに思わぬ批判が出たので書いてみたいと思います。
私は知人がPTAで「ベルマークの集計作業」「資源回収の時の業者の手伝い当番」「校内で行う地域のバザーの出品や準備」をしていると聞きました。
それを聞いて正直、真っ先に思ったこと。
「それ、本当に必要なわけ??」
共働き世帯の多い現代社会において、こんな殆どの人がハッピーにならない作業が未だに続いていることが驚きました。
知人もわざわざ仕事の半休を取って、この作業に参加しているが、正直「お金払うから辞めさせて欲しい」と思っているそうだ。
私もこの意見には納得。
こんな昭和から続くような作業は、令和の時代に果たして本当に必要なのか。
ベルマーク??1点を100個集めて100円??非効率すぎます。
昔は専業主婦世帯が多く「女性の労働力はタダ」との概念から、こうした非効率ながら道徳意識の高い運動に駆り出されていました。
しかしながら現在では、半日も十数人のPTAの親を借り出して数千円にしなからない作業は、正社員のみならずパートで時給1000円で働いてる方々からしたらバカバカしく感じて当然です。
この記事を読むと余計に頭が痛いことばかりです。
必要な作業は残して、不必要な作業を削り、場合によっては外部にサービスをお金をかけて委託すべきではないだろうか。
まして、地域のバザーなんて、やりたい人が有志でやるべきでしょう。
ただでさえ、キャリアか育児かで選択を迫られる働く女性に対して、もっと現代の家庭の在り方にそってPTAの形も変わっていった方が良いと思う。
大体、こんなことを書いたんですけど……9割くらい納得して頂ける中で一部の方からこんな意見がありました。
「家庭か仕事かでいったら、二者択一ではなくて、家庭の一択でしょう。
共働きを理由にあれをやりたくない、これもやりたくないと言うのは間違っています。
共働きでも時間を都合して、当然やるのがPTAです」
これを聞いて、「とても面白い意見だなぁ~(#^.^#)」と思いました。
まず第一に勘違いしているのが、私は「PTAの作業をやりたくない」とは言っていないです。(そもそも子供も居ませんので、やりたくでも出来ない)
現代社会に合わない非生産的な作業や、「昔からやっていた」の名のもとで慣例化していた不必要な作業をやめるべきだと言いたいのです。
「なぜ、これをやっているのか」という部分で大きな声で誰にでも納得ができるように説明ができない作業は、もう時代に合わないからやめるべきなのです。
誰も幸せにならない作業を「みんなやっていたから」という理由で、ずっとやっていくこと自体、おかしな話です。
第二に、「家庭か仕事かでいったら、二者択一ではなくて、家庭の一択」という意見ですが、私はそうは思っていません。
キャリアも家庭も両立していけるようになるのが本来の目指すべき未来です。
こうして「家庭を優先して当然」「家庭を犠牲にしてまで仕事はすべきではない」という意見が根強く残っているとどうなるでしょうか。
仕事をしたい女性はまず子供を産めません。つまり、少子化はどんどん進みます。
私は「一択」にも「二択」にもしたくないんです。
そもそも両者がどちらかを選ばないと出来ないものでなくて、どちらも両立できるようにしたいと考えています。
いつもいつも、家庭と仕事が対立するもののように思われること自体、正直うんざりしています。
なぜどちらか選ばなければならないのでしょうか。
私は仕事も家庭もいつも楽しくやりたいと思っているからこそ、「ライフハック」することをいつも考えています。
私が提案したいのはまさに「PTAのライフハック」であり、「PTAの効率改善」なのです。
これを「やりたくないから文句を言っている」と言われてしまうのは、主張の本質が全然違う訳です。
必要なことは当然残し、不必要なことを削り、残した作業も効率の良い形に変えていく。
……これ、仕事では常に求められることです。
「なぜ、仕事は効率改善すると褒められるのに、家事の効率改善は手抜きなのだろう」
という私が最初にライフハックを始めた頃の疑問に似ています。
日本人は特に昔ながらのやり方を変えることにすごく抵抗がある人が多いです。
ことに家庭にまつわることで時間短縮しようとすると「手抜き」「愛情がない」と非難されがちです。
時間をかけてやることだけが「愛情」でしょうか。
もちろん、たくさん時間をかけてやった家事や労働に「愛情がない」とは言いません。
でも、愛情のかけ方ってもっと多様性があって良いんじゃないかなと思うのです。
私自身、それから海外のPTAの記事を読んだりしましたが、日本のPTAの負担はちょっと異常です。
↓例えばアメリカでは…
正直「地域」と「学校」のお手伝いさんを無償で行っているようなものだと思います。
半強制的に行われているボランティア活動だと思えばちょうど良いでしょう。
タイムイズマネーです。時間とはお金なのです。実際に特定の人物の時間をお金で買うような面白い事業が存在しているくらい、その人の時間とはそんな安いものでは本来ないのです。
その貴重な時間を搾取して行っているのであれば、意味がある作業であって欲しいと私は思います。
みんなにとってプラスになることはやれば良いです。マイナスになることはやらなくて良い。
私は会社でも私生活でも相手が「慣例だから」ということを理由にした場合、「なぜ慣例だとやらなければならないの?」ということを自分が納得できるまで聞きます。
ちょっと面倒くさい奴だと思われるかもしれませんが、面白いもの・良いものは残すし、時代に合わなくなったものはやめて、みんながハッピーになれば良いと思っています。
作業の不要をそぎ落とすと、本当に必要なことが見えてくるので、みんなが納得する活動だけ残ると思います。
話し合いだってSkypeなどを利用したWeb会議や、なるべく集まらないでも出来るようにメッセンジャーを活用したりしていけば良いと思います。
その方が話し合いが横道に逸れずに本論だけ話し合えるので効率が良いです。(実際にイギリスなんかではそういう実践をしています)
要は負担を減らせば「誰もPTAをやりたがらない」ということが無くなるのです。
まさにWinWinだと思います。
本質的に「子供たちのために何かしたい」という気持ちがあれば、どこか自分が得意な分野でPTAに関わっていける訳ですから。
もっと気持ち良い活動にして、自主的に「子供たちのためにやりたい」と思えるような活動になって欲しいと個人的には思います。
子供もいないくせに、そんな偉そうにいうんじゃねーよ!!
という声が聞こえてきそうですが、自分や将来の女性たちがいつか子供を持つことがあった時のためにも、誰かを犠牲にしてしかならない活動であるなら、誰も犠牲にならずに済む活動になっていって欲しいと心から思う次第です。

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私は知人がPTAで「ベルマークの集計作業」「資源回収の時の業者の手伝い当番」「校内で行う地域のバザーの出品や準備」をしていると聞きました。
それを聞いて正直、真っ先に思ったこと。
「それ、本当に必要なわけ??」
共働き世帯の多い現代社会において、こんな殆どの人がハッピーにならない作業が未だに続いていることが驚きました。
知人もわざわざ仕事の半休を取って、この作業に参加しているが、正直「お金払うから辞めさせて欲しい」と思っているそうだ。
私もこの意見には納得。
こんな昭和から続くような作業は、令和の時代に果たして本当に必要なのか。
ベルマーク??1点を100個集めて100円??非効率すぎます。
昔は専業主婦世帯が多く「女性の労働力はタダ」との概念から、こうした非効率ながら道徳意識の高い運動に駆り出されていました。
しかしながら現在では、半日も十数人のPTAの親を借り出して数千円にしなからない作業は、正社員のみならずパートで時給1000円で働いてる方々からしたらバカバカしく感じて当然です。
この記事を読むと余計に頭が痛いことばかりです。
PTAが"ベルマーク運動"をやめない理由 | PRESIDENT WOMAN
私自身、会員の時には知る由もなかったが、実はPTAには各学校→区市町村→都道府県→全国という縦の系列がある。PTAの全国組織が「公益社団法人 日本PTA全国協議会」なのだが、協議会が発行する『PTA応援マニュア…
必要な作業は残して、不必要な作業を削り、場合によっては外部にサービスをお金をかけて委託すべきではないだろうか。
まして、地域のバザーなんて、やりたい人が有志でやるべきでしょう。
ただでさえ、キャリアか育児かで選択を迫られる働く女性に対して、もっと現代の家庭の在り方にそってPTAの形も変わっていった方が良いと思う。
大体、こんなことを書いたんですけど……9割くらい納得して頂ける中で一部の方からこんな意見がありました。
「家庭か仕事かでいったら、二者択一ではなくて、家庭の一択でしょう。
共働きを理由にあれをやりたくない、これもやりたくないと言うのは間違っています。
共働きでも時間を都合して、当然やるのがPTAです」
これを聞いて、「とても面白い意見だなぁ~(#^.^#)」と思いました。
まず第一に勘違いしているのが、私は「PTAの作業をやりたくない」とは言っていないです。(そもそも子供も居ませんので、やりたくでも出来ない)
現代社会に合わない非生産的な作業や、「昔からやっていた」の名のもとで慣例化していた不必要な作業をやめるべきだと言いたいのです。
「なぜ、これをやっているのか」という部分で大きな声で誰にでも納得ができるように説明ができない作業は、もう時代に合わないからやめるべきなのです。
誰も幸せにならない作業を「みんなやっていたから」という理由で、ずっとやっていくこと自体、おかしな話です。
第二に、「家庭か仕事かでいったら、二者択一ではなくて、家庭の一択」という意見ですが、私はそうは思っていません。
キャリアも家庭も両立していけるようになるのが本来の目指すべき未来です。
こうして「家庭を優先して当然」「家庭を犠牲にしてまで仕事はすべきではない」という意見が根強く残っているとどうなるでしょうか。
仕事をしたい女性はまず子供を産めません。つまり、少子化はどんどん進みます。
私は「一択」にも「二択」にもしたくないんです。
そもそも両者がどちらかを選ばないと出来ないものでなくて、どちらも両立できるようにしたいと考えています。
いつもいつも、家庭と仕事が対立するもののように思われること自体、正直うんざりしています。
なぜどちらか選ばなければならないのでしょうか。
私は仕事も家庭もいつも楽しくやりたいと思っているからこそ、「ライフハック」することをいつも考えています。
私が提案したいのはまさに「PTAのライフハック」であり、「PTAの効率改善」なのです。
これを「やりたくないから文句を言っている」と言われてしまうのは、主張の本質が全然違う訳です。
必要なことは当然残し、不必要なことを削り、残した作業も効率の良い形に変えていく。
……これ、仕事では常に求められることです。
「なぜ、仕事は効率改善すると褒められるのに、家事の効率改善は手抜きなのだろう」
という私が最初にライフハックを始めた頃の疑問に似ています。
日本人は特に昔ながらのやり方を変えることにすごく抵抗がある人が多いです。
ことに家庭にまつわることで時間短縮しようとすると「手抜き」「愛情がない」と非難されがちです。
時間をかけてやることだけが「愛情」でしょうか。
もちろん、たくさん時間をかけてやった家事や労働に「愛情がない」とは言いません。
でも、愛情のかけ方ってもっと多様性があって良いんじゃないかなと思うのです。
私自身、それから海外のPTAの記事を読んだりしましたが、日本のPTAの負担はちょっと異常です。
↓例えばアメリカでは…
正直「地域」と「学校」のお手伝いさんを無償で行っているようなものだと思います。
半強制的に行われているボランティア活動だと思えばちょうど良いでしょう。
タイムイズマネーです。時間とはお金なのです。実際に特定の人物の時間をお金で買うような面白い事業が存在しているくらい、その人の時間とはそんな安いものでは本来ないのです。
その貴重な時間を搾取して行っているのであれば、意味がある作業であって欲しいと私は思います。
みんなにとってプラスになることはやれば良いです。マイナスになることはやらなくて良い。
私は会社でも私生活でも相手が「慣例だから」ということを理由にした場合、「なぜ慣例だとやらなければならないの?」ということを自分が納得できるまで聞きます。
ちょっと面倒くさい奴だと思われるかもしれませんが、面白いもの・良いものは残すし、時代に合わなくなったものはやめて、みんながハッピーになれば良いと思っています。
作業の不要をそぎ落とすと、本当に必要なことが見えてくるので、みんなが納得する活動だけ残ると思います。
話し合いだってSkypeなどを利用したWeb会議や、なるべく集まらないでも出来るようにメッセンジャーを活用したりしていけば良いと思います。
その方が話し合いが横道に逸れずに本論だけ話し合えるので効率が良いです。(実際にイギリスなんかではそういう実践をしています)
要は負担を減らせば「誰もPTAをやりたがらない」ということが無くなるのです。
まさにWinWinだと思います。
本質的に「子供たちのために何かしたい」という気持ちがあれば、どこか自分が得意な分野でPTAに関わっていける訳ですから。
もっと気持ち良い活動にして、自主的に「子供たちのためにやりたい」と思えるような活動になって欲しいと個人的には思います。
子供もいないくせに、そんな偉そうにいうんじゃねーよ!!
という声が聞こえてきそうですが、自分や将来の女性たちがいつか子供を持つことがあった時のためにも、誰かを犠牲にしてしかならない活動であるなら、誰も犠牲にならずに済む活動になっていって欲しいと心から思う次第です。

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