時間と質の関係について
今日も元気にネコハラを受けております(笑)

さて、私は効率化マニアな部分があるのですが、よく「丁寧にやらないと覚えないよ?」「時間をかけた方が良いものになる」と言われることがあります。
これは仕事でも家事でもたまに言われるんですけど、この答えはいつも「そんなことはないですよ」という回答になります。
ある分野においては、もしかしたら上記の指摘は真実なのかもしれませんが、私のようなSEという業種や生きるための家事については効率化しても質は落ちるどころか上がることが多いです。
※ここでいう「生きるための家事」とは職業にしない自分のための「家事」のことになります
まず、丁寧にやらないと覚えないという指摘ですが、効率化する手順を踏むときは「こうやると時間が短縮できるぞ」とか「この方法は効果的だ」とその作業を最適化する思考を必ず踏むので、ただ手順通りに作業をしている人よりも理解が深いことが多いです。
効率化するツールを買うときや導入するときも「この作業はこういう本質的には作業だから、これが一番効果的だ」と必ずその作業の本質を考えるわけです。
また、「時間をかけた方が良いものになる」というのは、達成感や満足感を「良いもの」と置き換えているケースがあります。
芸術などの分野においては、上記は真実なのですが、多くの場合は「時間をかける=良いものになる」とはならないことが多いです。
山登りなどに例えられますが、その際に出る「ドーパミン」が苦労や我慢を達成感に結びつけてしまうとこの論理にハマってしまいます。
私は「時間をかけること=悪いもの」とは全く思っていないのですが、他の人から問いかけられる「時間をかけない=悪いもの」という論理は間違っていると思っています。
私は生まれつき異常なまでの「うっかり」……いわゆる同じ作業をずっとやることが出来かなったり、次に違うことを言われると忘れたり、忘れ物が多かったりします。
その結果、なんでも「忘れる前に早めに終わらせたい」「自分はあんまり信用できないので、便利なツールに任せたい」と思っています。
代わりに何か面白いことひらめいたり、仕事でもイマジネーションを使うような得意な作業に時間をかけたいと思っています。
社会人になってからは、特に得意なことを生かして可能な限り苦手なことに時間をかけないことにしています。
ものぐさなことも相まって、とにかく「これ、毎日やるの面倒だなぁ」と思う作業があると、たとえ効率化するための作業が1日や2日かかったとしても自動化などの置き換えの作業を行うことにしています。
そうすると、例えば1日20分かけていた作業は3日で1時間なので、すぐにシステム化の構築時間はペイできてしまうわけです。
私は毎日20分以上かけている作業は手順を見直す必要があると職場でモットーにして生きているのですが、家事も同じで毎日多くの時間がかかっている作業はみなしたいと思っています。
一番大事なのは時間をかけたことで得られる「達成感」よりも、時間をかけなかったことで生み出される「他のハッピーなことに使える時間とそれによって得られる成果」だと思って行動する訳です。
ちなみにこの考え方はコロナ禍以降の世界と非常に相性が良く、在宅勤務に切り替わっていくことで成果主義がどんどん加速しています。
今までは何となく「あの人は残業をたくさんしていてなんだか忙しそうだから仕事をいっぱいやっているのだろう」みたいになっていた部分が、見えなくなったことでバイアスがかからなくなる訳です。
そうすると100の時間で1の成果を上げる人よりも、1の時間で100成果を上げる人の方が当然評価されるので、効率化すると非常に良いことがたくさんありました。
コロナ禍でこうした変化は以前に戻ることはなく、加速するのではないかと思っています。
私は新人時代にある先輩から「時間をかけたものが良いものとは限らないが、良いプロセスを踏んだものは良いものになる可能性が高い」とよく言われました。
大事なのはプロセスの見直しと改善なのかなと思いながら、日々生活を送っています。
この考えて以前より仕事も私生活もずいぶん暮らしやるくなった気がします。
私は以前より勝間和代さんの本を愛読していますが、こうした考え方やライフハックについて1冊にまとめてくださっているのはこの本です。
勝間和代さんの本は私の心のモヤモヤや本当にやりたいことを言語化してくださるのでとても面白いし、いつも参考にしています。

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さて、私は効率化マニアな部分があるのですが、よく「丁寧にやらないと覚えないよ?」「時間をかけた方が良いものになる」と言われることがあります。
これは仕事でも家事でもたまに言われるんですけど、この答えはいつも「そんなことはないですよ」という回答になります。
ある分野においては、もしかしたら上記の指摘は真実なのかもしれませんが、私のようなSEという業種や生きるための家事については効率化しても質は落ちるどころか上がることが多いです。
※ここでいう「生きるための家事」とは職業にしない自分のための「家事」のことになります
まず、丁寧にやらないと覚えないという指摘ですが、効率化する手順を踏むときは「こうやると時間が短縮できるぞ」とか「この方法は効果的だ」とその作業を最適化する思考を必ず踏むので、ただ手順通りに作業をしている人よりも理解が深いことが多いです。
効率化するツールを買うときや導入するときも「この作業はこういう本質的には作業だから、これが一番効果的だ」と必ずその作業の本質を考えるわけです。
また、「時間をかけた方が良いものになる」というのは、達成感や満足感を「良いもの」と置き換えているケースがあります。
芸術などの分野においては、上記は真実なのですが、多くの場合は「時間をかける=良いものになる」とはならないことが多いです。
山登りなどに例えられますが、その際に出る「ドーパミン」が苦労や我慢を達成感に結びつけてしまうとこの論理にハマってしまいます。
私は「時間をかけること=悪いもの」とは全く思っていないのですが、他の人から問いかけられる「時間をかけない=悪いもの」という論理は間違っていると思っています。
私は生まれつき異常なまでの「うっかり」……いわゆる同じ作業をずっとやることが出来かなったり、次に違うことを言われると忘れたり、忘れ物が多かったりします。
その結果、なんでも「忘れる前に早めに終わらせたい」「自分はあんまり信用できないので、便利なツールに任せたい」と思っています。
代わりに何か面白いことひらめいたり、仕事でもイマジネーションを使うような得意な作業に時間をかけたいと思っています。
社会人になってからは、特に得意なことを生かして可能な限り苦手なことに時間をかけないことにしています。
ものぐさなことも相まって、とにかく「これ、毎日やるの面倒だなぁ」と思う作業があると、たとえ効率化するための作業が1日や2日かかったとしても自動化などの置き換えの作業を行うことにしています。
そうすると、例えば1日20分かけていた作業は3日で1時間なので、すぐにシステム化の構築時間はペイできてしまうわけです。
私は毎日20分以上かけている作業は手順を見直す必要があると職場でモットーにして生きているのですが、家事も同じで毎日多くの時間がかかっている作業はみなしたいと思っています。
一番大事なのは時間をかけたことで得られる「達成感」よりも、時間をかけなかったことで生み出される「他のハッピーなことに使える時間とそれによって得られる成果」だと思って行動する訳です。
ちなみにこの考え方はコロナ禍以降の世界と非常に相性が良く、在宅勤務に切り替わっていくことで成果主義がどんどん加速しています。
今までは何となく「あの人は残業をたくさんしていてなんだか忙しそうだから仕事をいっぱいやっているのだろう」みたいになっていた部分が、見えなくなったことでバイアスがかからなくなる訳です。
そうすると100の時間で1の成果を上げる人よりも、1の時間で100成果を上げる人の方が当然評価されるので、効率化すると非常に良いことがたくさんありました。
コロナ禍でこうした変化は以前に戻ることはなく、加速するのではないかと思っています。
私は新人時代にある先輩から「時間をかけたものが良いものとは限らないが、良いプロセスを踏んだものは良いものになる可能性が高い」とよく言われました。
大事なのはプロセスの見直しと改善なのかなと思いながら、日々生活を送っています。
この考えて以前より仕事も私生活もずいぶん暮らしやるくなった気がします。
私は以前より勝間和代さんの本を愛読していますが、こうした考え方やライフハックについて1冊にまとめてくださっているのはこの本です。
勝間和代さんの本は私の心のモヤモヤや本当にやりたいことを言語化してくださるのでとても面白いし、いつも参考にしています。
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